トゥルーマン・ショー感想とスネークマンショー
※軽いネタバレを含みます
自分以外が全てキャストの世界
何も知らない主人公の人生は、外の人間たちの人気番組になっていたというお話
(ここまではパッケージの裏に書いてあるからバレじゃないからね)
親切なお隣さんも、長い付き合いの親友も職場の上司も全て仕組まれたもの
彼の元に舞い込むハプニングも全て視聴者を楽しませるためであり、不自由ない生活は出来るものの、彼はこの世界の本当の外を知らない。
その仕組みに気づいた時、世界はあらゆる方法で彼を止めようとします。
ジムキャリーの自由な演技と笑顔が非常に印象に残りました。
シナリオも見事で、彼のいない場所は人の気配がなかったり、ラジオの混線で外部の指示が漏れたり、船長が船を動かせない等メタな部分も取り入れて映画を見ている視聴者も番組の視聴者の立場にさせるのには感心しました。
この番組を見続けていたいけれど、それでもトゥルーマン本人には本当の意味で幸せになってほしい複雑な視聴者たちの気持ち。
そして、作り物の世界から消えていくトゥルーマンの皮肉めいた挨拶でしめるラスト。
私達も何者かに監視されている可能性は完全に否定できるわけではないのでゾッとします。(考えすぎると糖質になっちゃうけどね)ゲームみたいな話でいえば私達が見ているもの、聞いているものだけがそこに存在し、私達が移動したり行動することにより情報が更新されて新たなマッピングが現れ、あたかも世界が広いと錯覚させる。世界自体は本当は存在せず、私達は一畳ほどの空間にいるだけで外部から常に送信される情報を感じ、本来は断片的である空間を無限大のように感じてしまうのではないか・・怖いけどこういうSF嫌いじゃないです。
余談ですけど~ショーと聞くと実家で発見したスネークマンショーを思い出します。
ラジオ関連は出てきても書籍の内容はネットに情報が無いんだよね。
内容はカオスだし、若い伊武雅刀さんも出てきてやらせっぽい冒険活劇載ってるし、(突っ込みどころ満載でこれがまた楽しい)付録のカセットテープもアングラな内容(冒険活劇の一部始終、カセットテープを拾ってきたある家族の食卓でのお話)で興味をそそるものの、中学生時代の自分には軽くトラウマを与えた本でした。
一つ気になるんですけど、マスク・ド・メロン号だかゴールデンメロン号だか忘れましたがとにかくメロンの形した宇宙船が財宝を積んでるから宝探ししろと最後に書いてあるんですがこれは結局なんだったんですかね?なんか創作だけのお話かと思ったら、ちゃっかり現実とリンクしてるみたいなんですよね。ヒントみてもさっぱりだし、一種の観光キャンペーンみたいな目的なのかよくわかりません。やっぱ物語の舞台のバリ島行くしかないんかなぁ・・でも今行っても痕跡もなさそうだよね。