孤独の備忘録

生きるの難しい

死への欲求

いろいろ考えた結果、職業訓練なるものをやってみようということになった。

まぁ実家でただダラダラしてると親にめちゃくちゃ干渉されてしまう現状を変えるためなにかとりあえず自分はやってますよというアピールの一つなのかもしれない。

 

最近実家を出たくてたまらなくなった。炊事洗濯をしなくてもいいのは楽だがあまりにも親の干渉が多すぎる。20代にもなってそんなことをいうのかと思うことが度々増えた。

自立というものはこういうところから始まるのだろうか。とはいえ、職を失っている今はただひたすらに我慢するしかないのがもどかしい。職のないものは人間ではあらずというのは言い過ぎだが、家族の中でカーストが一番低くなっているのが現状だ。

 

正直言えば何もかもめんどくさい。生きるのも面倒だ、残りの人生特にいいことが確定されていないのに悪いことが起こることは確実にわかっているのになぜ生きるのだ。

 

残りの人生、宝くじに当たるわけでもなく、理解してくれる伴侶ができるわけでもなくただ労働という義務だけは課されている。寿命が長ければ長いほど苦痛は続く。私は平均でもあと40年は奴隷にならなければならないのだ。頭がおかしくなる。

死ぬことも楽ではない。日本は銃社会ではないから拳銃自殺もできない、首吊りは苦しい、飛び降りは勢いはあるが十分な高さがなければ悲惨な目に合う。死ぬことはなぜこんなに苦しいのだろう?生きる自由があるなら死ぬ自由があってもいい。

安らかに死にたい、私は安楽死に賛成だ。

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外国では安楽死の技術が進んでいるそうだがこの国では無理な話だ。今できることはなるべく将来困らないように金をためることである。

働くためだけに生まれてくるなんて馬鹿馬鹿しい。親にも育ててくれたことには感謝しているが内心は産んだことに対して憤りを感じている。世の中は苦痛でいっぱいなのを理解している、人生がほぼ勤労で終わることを理解していてなぜ生んだのだろう?世間体?性欲に負けたから?生まれなきゃあらゆる苦痛を感じずに無のままでいられた。この無が最高最良の状態であったのに親のエゴで引きずり出された。この世こそが地獄だ。

 

この世から去るあらゆる方法を考えたが、かろうじて日常の娯楽が現実にとどまる理由である。おそらくこれも年齢とともに欲求が衰えていくのだろうが。ただ早く死にたい、それを口癖にこのクソみたいな世界を今日も生きている。

 

親に向かってこんなこと言えねぇもんな、あなた方の息子は毎日死にたい思い続けているよ、とはいえ殴り書きしたらちょっとスッキリしたから今日はもう寝よう