孤独の備忘録

生きるの難しい

愛がほしかったという話

愛がほしい、そう思い始めたのはいつ頃だったろう。

ここは、日ごろからそんなことを常に考えて悶々としているがそれを叶えられなかった無職の嘆きというわけである。

私の人生にあとどのくらい出会いが待っているのだろうか。学生時代にさえ成し遂げられなかったのに社会人に純粋な恋愛などもはやないのではないか。

社会人になってしまえば残された道は合コンや婚活の場以外などない。純粋な出会いが失われた今、生きている意味がどこにあるというのだろう。

大学時代は住んでいたアパートの隣がカップルで同棲していたため、昼夜を問わずに愛の営みが行われていた。隣にいた私は同じくして昼夜を問わず苦しみに耐えなければならなかった。

今日たまたま言ったコンビニのイートインでカップルが勉強をしていた。いいなぁと心からの欲が漏れてしまった。場所がどんな場所であれ、愛する人といる空間は特別なものになるに違いない。それを経験できなかった私の惨めさといったらここに書き残すこともできぬほどの苦痛であった。

両親にしても形はどうあれ運であれパートナーを見つけることができ私を生んだのである。実に成功者ではないか、産んだのが使い物にならない私という点を除けばだが。

 

生きるということに対して、誰もが何か一つの軸を持ちそれを支えに生きていると私は推測する。それが仕事であったり、特技であったり、恋人であったり。私の主軸は何なのだろう。これが得意、これをしていると楽しいと自信を持って言える何かが私にはなかった。ただあの時は流されるままに時間を使ってきたように思う。私が本来すがりたかった主軸は、愛する者のために生きるということであった。それももう実現のできない悲しい話である。

 

考えると、この娯楽があるから耐えようというちっぽけなものしかない。私には。なんとも無念だ。これからただ働くだけの毎日になんとかちっぽけな希望のために自死を我慢し生きなければならない。これを地獄というのか。生きるとはなんと地獄なのだろう。一度でいいから愛する女性と手をつなぎたかった。笑顔を交し合いたかった。どこかに遊びに行きたかった。性行為がしたかった。たらればがひたすら心に突き刺さる。

幸いこの国は終息を始めてくれた。私のように思いを叶えられずに悶々と過ごし人生を終える男性が増えてくれるであろう。これが仲間がいるという点で私がすがれる唯一の希望である。

私は事故にでも合わない限りは、この地獄を寿命まで生き続けねばならない。死ぬことも考えてはみたが、どれもリスクを伴うものばかりで若いうちの勢いなくしては、年を取るにつれてズルズルと寿命を延ばしていくに違いない。そのためにはなるべく欲を排除して早く逝く努力をし続けなければならない。毎日が何とも空しく体は鈍い。

私は毎日生きているあなた方を尊敬するよ。まったく素晴らしい、こんなクソみたいな世界で。